ノー・マンズ・ランド

6月にグローブ座の舞台版を見ていたのですが、映画も見てみました。
ので軽く比較しつつのメモ。


 一番の違いは映画の方が人数が多いことかしら。塹壕の3人だけでなくマスコミ(イギリス人?)と国連軍(フランス人+ドイツ人)もたくさん出ていて、というかむしろ塹壕とマスコミと国連の3つの軸で展開してる感じ。その分ボスニアセルビアの憎悪の乗算的な部分が薄くてアレって思ったりもしたんだけど、それぞれの立場を描くことでそれぞれの建前と本音がぐちゃぐちゃになって、いっそ乾いた笑いすらこみ上げる愚かさが出ていたんじゃないかと。特典でくっついてた日本語版予告編とか見ても、ついてる音楽からするに製作者の意図もそっちにあったような…悲惨な現実を前に理屈を並べながらも何も救えない人々の可笑しさを知れ、みたいな。どっちかといえば「戦争って馬鹿馬鹿しいでしょ?」みたいなスタンス。

 舞台版はこの映画の中から取り残された3人の閉塞感とイラ立ちを前面に出したまた別の視点からの再構成品なのかな。生で見た迫力って部分を差し引いても舞台版はボスニア(チキ)とセルビア(ニノ)の憎しみのぶつかり合いをかなり生々しく描いていた印象。映画では1,2度しかなかった罵り合いも舞台では3人だけを長く取り上げたことで何度も何度も罵っては、合間にわずかに和解出来そうな希望を見せつつ最終的には殺しあってるだけによりやる瀬の無い気持ちになった気がする。ローリング・ストーンズとかね、そこで一瞬気持ちが軽くなるだけに終盤に向けて研ぎ澄まされる殺意と憎悪がほんとに怖かった。虐殺の描写*1も舞台ではかなり詳細だった…気がするし。あと国連軍のキャラが違う。映画のマーシャル大尉に比べて舞台のジェーンの方が感情的だった。まぁこれも人数の少なさでキャラを濃くしてるのかもしれないけど、彼女が必死にあがきまわる分何も救えないことへの悔しさは際立ってたかなぁ。あとそもそも性別と国籍が違う。性別についてはわからないけど、国籍をアメリカにすることでフランスやイギリスに設定するより、より今現在のリアルな世界の縮図になってるんじゃないかと。紛争地域に大義名分を掲げて介入するも、その実平和にはなんにも貢献できやしない正義の代表ヅラしたアメリカに対する演出家の批判精神みたいなものがあるんじゃないかしら。スタンスとしては「戦争にNOを…言ってどうする?」っていう感じ。

 どうでもいいけど舞台の演出家*2が映画版のニノに似てる…

*1:というか語り

*2:鈴木秀勝