レッツゴー仮面ライダー

なんかすっごくお久しぶりになってしまいましたが元気にやってますよ!
ゴセイvsシンケンが結構面白かったとかアギト完走したとか*1ゴーカイはルカ姐さんに夢中☆とかあるんですけど…まぁアギトはちょいちょいついったーに感想落としたのでまとめとこうかなぁ、自分のために。

で、オーズは渡部くんがすごく良いなぁ三浦くんも上手いよなぁとか思いつつも、がちっとハマれないというか、面白いんだけど没入できない感じっていうのかな?いまいち全体像というか、見て行くにあたっての核のところみたいなものが見つけられない状態ですっごいもどかしかったんですけど。1000回記念がなんだか知らないが面白すぎて、っていうかお祭りテンションに紛れた米村フィルターのおかげでちょっと分かった気がしてね!いやなんかさ要は私が火野映司ってキャラは好きだけど、よくわかんなかったんだなと。靖子女史の描き方が複雑というかヒネてるというかwここへ来て、靖子女史が積み上げてきた分を米村さんが良い具合に翻訳してくれたおかげでやっと色々考えるのが面白くなって来た感じです。わかりやすさ大事。わかりやすすぎると萎えるけど。

…なんで、そっちの1000回記念の感想も書きたいような気もするけど、なんかうっかり初日に見ちゃったらこちらも超面白かったので40周年映画のはなしするよ!
さすがにちょっと日が経ってるので割とざっくりした話ですがー。


何が素晴らしいって、オーズと電王っていうまぎれもない“平成ライダー”の話なのに、未来を担う少年たちを中心においたことで昭和含めた“俺たちのヒーロー・仮面ライダー”ってとこに全部が回収されてっちゃう構造ですよね。

確か私ダブルのAtoZの時に、民衆に応援されて復活する仮面ライダーに興味はないみたいなこと書いたと思うんだけど、いまさらながらわかった、アレ民衆の応援そのものがどうというより、翔太郎の思う正義と風都の人たちの思う正義の接点が見つからないのが一番ダメだったんだな。だって今回超燃えたもん。

今回映司も幸太郎も、やってることは実に平成ライダーらしい限定的な正しさ、彼らなりの正しさの行使でしかなくって、映司だったら目の前の子供たちを守るとか、幸太郎だったら電王として時の運行を守る…ってことでしかないんだよね。もちろんそういったことをきちんと出来るところがヒーローなんだと言われればそれはそうなんだけども、あくまでそこは“私(わたくし)のヒーロー”でしかないわけじゃん。なんだけど、最初の時間介入ではショッカー最強の怪人、悪の象徴であった1号と2号が、二度目の時間介入によって正義の象徴に反転する鮮やかさの中で、オーズや電王含めた仮面ライダー全体が正義の象徴…ってとこに持って行っちゃうんだもんさ。

まぁねぇ“正義”っていうのは非常に危ういというか、なんかショッカー側の台詞でもあったと思うけど勝った方が正義っていうのもそりゃそうなんだよね。んで私はあんまりそういう絶対的なものを信じてないっつーか、みんなが同じところに向かえるだなんて思ってない*2から、平成ライダー好きなんだと思うんだけどさ。数ある正義…っていうか信念の中から、主人公のものが選び取られていく過程、みたいなね。

でも今回その辺割とほっぽり出して入って行けちゃうのが、だからミツルとナオキという少年たち、っていうかまぁ主にミツルの目線で見れるからだよね。映司が守ろうとする少年たち、今を生き抜こうとしてる少年たち。彼らにとってライダーっていうのは最初は最強の悪の象徴なんだけども、まずその悪に抗する者としての映司と関わりを持つと。んでさらにタイムスリップした先で1号2号と出会うことで、彼らにとっての仮面ライダーの存在が、くるっと反転して最強の正義…っていうのは一応ここでは悪に抗するものとしての正義かな。徹底的に「悪」であるショッカーと戦ってくれる正義の象徴になっちゃうんだよね。*3んでさらにうわぁと思ったのは、ナオキを通じてそれを“時間を超えて引き継がれてきた想い”って方向にまで持って行っちゃうというな!ミツルとナオキの友情を念頭に置いたうえで、過去でも現在でもライダーは正義の象徴であるべきだってところに、映司や幸太郎含めて全部回収させちゃうんだもんさー。なんかさ、映司も幸太郎も自分たちがやるべきだと思ってることをやってるだけで、自分たちのことを正義だなんて自認しちゃいないんだけど、ミツルを通して彼らを1号2号と同じ“仮面ライダー”って括りで見ちゃう、しかも過去で戦っていた1号2号のことをナオキがミツルに伝えることで、映司も幸太郎はも1号2号の正義を継いでいる者になっちゃう。プラス、それを伝えた側であり1号2号を正義に押し戻した科学者であるナオキの息子がミツル…って文字で説明するとごちゃごちゃするけどwナオキとミツルの繋がりを友情って横線に見せかけた二世代って縦線にしちゃうことで、ふたりの共通体験として映司から受け取った言葉だったり、1号2号の姿を目の当たりにしたことがあるんだけど、そこからナオキが貫いてきた正義を、今度はミツルが引き継ぎ貫いていく、ライダーの正義は引き継がれて行くよ…って、ここまで言うのは少し邪推がすぎるかしらwでもあの広場でのコールっていう至極わかりやすい画に持って行くまでに、時間を超えるとか人の想いとか正義とか諦めない気持ちとかをよくもまぁ色々詰め込んだよね!っていう感動…かわかんないけどwなんかとりあえずすげぇな!って感嘆でいっぱいですよw


あと個人的にツボを付かれたのは幸太郎とテディの関係性というかね…あのふたりの信頼感が、ちゃんとエピソードブルーを経たあとのすごく安定した信頼関係な感じだったのがたまらない。っていうか幸太郎ほんと大人になったよなぁw彼らの安定感がミツルにとっての模範のひとつとしても機能してるのもなかなか。
ただそこが良かっただけにやっぱり映司とアンクの描き方は気にはなっちゃうんだけどねー。っていうかアンクだよな。ぶっちゃけちょっとひどすぎる。冬映画の出番の少なさとかも考えると靖子女史以外が一番扱いづらいキャラはアンクなんじゃねーかって気になってくるぜ…。まぁ扱いというより関係性の問題か?なんか幸太郎とテディの互いに対する全面的な信頼感が凄く良いんだから、そこの対として映司とアンクの“距離はあるけどふたりなりに信頼はしてる”感を出してほしかったかな。あとペット扱いは本編でも初期とかそういう面あったにしても、画面としてあぁいうのは納得いかないというより「うんちょっと無理!」って感じなので自重してほしかったです…。そういう意味じゃオーズの映画としてはイマイチなのかな…アンクもオーズの一部だと考えればだけど。映司くん単体で見るなら米村さんの描き方は1000回記念回同様彼なりの正しさをわかりやすく整理した見せ方というか、見せてくポイントを上手く絞ってた上に上記の正義の流れなのもあってカッコよさが際立ってたと思うけど!


あとまぁ細かいところとか
・悪役会議に水のエルがいたのがなんとなくショックwエルはそんな俗物会議には参加しません!!1
・テラーは円卓似合いすぎw
・1号2号の古典的などんがらがっしゃんアクションがすばらしくてさすが金田監督!
・そしてスーアクが割と若い人たちだったと知ってびっくりである
デンライナーが戻ってきた理由だけがまったくわからない
・ナオキはさ、最初にチケットかざしたところの日付からしてナオキが現代の時間にいたこと自体が間違ってた…ってことだったのかな?じゃぁなんでいるんだって話ではあるけどw
・モモ憑依を見て、モモとアンクの柄の悪さって全然別物だよなと改めて
・モーゼ状態のオーナーの主役感
・真さんやばい真さん、混戦状態だとほんと怪人に混じりすぎ真さん
・昭和の紹介の時は隣にいた大きいお兄さんたちが楽しそうだったけど、クウガが映った瞬間に紹介の声が入るより早く子供たちが「クウガ!!」って言ってたのが聞こえてちょっと感動したよね。なんだかんだで子供がこういう反応することが大事だと思った
・あとディケイドとかダブルの時は指差して盛り上がってたし
・しかしダブルのふたりがふたりともとてもカツラっぽくてのう…
・風麺のおじさんってデスクの人だったよね?映画何作目?w
・つかこの手の勢ぞろいする状況はやっぱりディケイドが真ん中にいるのに慣れてしまっているのか、その他大勢の一部として並んでるディケイドの違和感が拭えない


…なんか思い出してたら楽しくなってきたのでwできたらもう1回見たいかもしれない!

*1:ということは平成ライダー完走ですわっほい!

*2:だから最近の「ひとつになろう、ニッポン」的なスローガンもあんま好きじゃない、被災地を支援する心持は別として

*3:ここらへんの簡単さは、前述の台詞はともかく結局ショッカーが単純な「悪」の象徴としてしか機能してないからだと思うけど