境界線

最近またちょっとキバについて考えている。

劇場版 仮面ライダーキバ魔界城の王 [DVD]仮面ライダー555 パラダイス・ロスト ディレクターズカット版 [DVD]

…そんなところでカブトの続きを見ようとしたら貸し出し中でなかったので、God Speed Love+上記二作を借りてきた。
God〜の話は本編と合わせてまた改めてするとして、まぁなんか最近ライダー全般について色々考えてることもあるっていうかむしろそれで卒論書きたい勢いなんだけど*1残念ながら卒論のテーマはもう提出しちゃって今さら変えるのもアレなのでまぁこっちで裏卒論みたいな感じでちょこちょこ考えればいいかなぁとか思っているわけで。


(まだ途中だけどいったん投稿しとくぜ!途中なのであんま気にしないで!)



なんだっけなー、なんかカブト暴走の話からちょっと009が懐かしくなって色々と思いだしていた時に、人間と異形みたいなテーマが浮かんだというか。あんま詳しくないからアレなんだけど石の森のテーマとして多分あるんだよね?異質なものになった人間とか、敵と同じ力を使うヒーローみたいなさ。

んで、まだ見てない作品もあるけど…一応Wikiとかざっと見た感じで得た知識から平成ライダーにおける異質・異形の力みたいなところで言うと、たぶん
クウガ→ベルト(アマダム)の力、本質的にはグロンギといっしょ
アギト→“闇の力”に対し、“光の力”による進化
龍騎→モンスターとの契約関係、戦う相手は同じライダー
555→変身条件が怪人であること、本来は怪人の王を守るもの
剣→モンスターの能力を使役、最終的にはモンスター化
響鬼大自然の“気”の力(魔化魍は本来自然現象)
カブト→開発に怪人が関わる、クロックアップ能力
電王→怪人を憑依させ、その力を借りて戦う
キバ→怪人とのハーフ
みーたーいーな感じだと思うんですけど!アギトクウガ響鬼はまだ見てないしカブトは途中なので間違ってたらごめん、ていうかそのうち見たら訂正するかもだけど。


まぁ何の話がしたいかって、基本的に仮面ライダーって、異形の力とかなにか大きな力を手に入れてしまった人間のドラマだと思うのね。んでそれがパラロスのコメンタリーで田崎さんが言ってた「境界線上の人間」って言葉ですげぇストンときたんだけど。基本的には人と人あらざるものとの境界線上に立たされた者の戦いとか苦悩とかのドラマなんじゃないかなーと。それが望んだものかそうでないかはまぁ作品によって違うけど、基本はもともとただの人間だった者が力を手に入れてしまう話なわけでさ。

で、なんとなく平成9作品の流れとして、クウガアギト/龍騎555剣/響鬼/カブト電王キバ/ディケイドみたいな流れがあるんじゃないかと思っていて。
つまりクウガとアギトって切っても切れない濃い関係があると。んで龍騎でいろんな意味で思いっきりぶった切って、それが555でアギトのG3と龍騎からの流れにある装着系ライダーとしてバトルとしてもドラマとしてもひとつの到達点に至り、剣には過去のエッセンスを色々撒いたまとめ的な部分があって。んでもともとライダーの予定じゃなかった響鬼っていう異色作をはさんで、35周年として昭和も含めたエッセンスを組み込んだうえでキャラクターに大きく特化したカブト、そこへさらにコメディ色を強めた電王、ファンタジー…というか魔術的な世界観を組み入れたキバ、そして10年目の総まとめとしてのディケイド…みたいな。


龍騎555剣あたりを見て思ったのは、真司も巧も剣崎も、普通の人間の常識を超えた力を手に入れてはいるんだけれども、その力の使い方と言うか、力を使って戦う理由っていうのが最終的に「人を守る」っていうところに落としこまれているのがすごくかっこいいなぁと思うのね。例えば神崎は優衣の命を欲するあまり他の命を大量に犠牲にするけど、真司が最期に至ったところって犠牲になっていい命なんかない、命はみんな守られるべきだってところじゃないのかなぁと思うわけ。555の世界は巧や木場にオルフェノクか人間の選択を迫るけど巧にとってはそんなことは関係なくて、自分が守れるもののために戦う。剣崎なんかはもっと明確に、戦えない多くの人の代わりに、人を守るために戦おうとするし、自分が守りたいと思ったもののためなら自分自身が境界線を踏み越えることも厭わない。


私が見てる順番としてはさ、電王→キバ→龍騎→剣→555→…で今カブト見てる最中だからさ。龍騎555剣から電王って考えると飛躍しすぎてるけど、なんかカブト見てたらあぁこれがあったから電王があるんだよねぇ…と妙に納得してしまったところがあって。んでキバが電王の強い影響化にあることなんか今さら言うまでもないし。それはさぁ、キャラクター性の強さというか、キャラクターありきのストーリーみたいな色がすごい強くなってるのもそうなんだけど、戦う動機づけっていうのがさっき言った3作とはまた違うなぁと思ったのね。だって天道が守りたいのはひより、ないしはひよりがいる世界だし。良太郎が守ろうとしてたのは姉さんのいる世界、渡が戦うのは父の遺したバイオリンと、兄のため…みたいな感じがどーも強い。
別にそれが悪いってわけじゃぁないんだけど。なんかさー555あたりから進んでた「箱庭化」がどんどん強くなってるよねーみたいな。一応クウガアギトって警察組織とか出てきて、社会の存在が結構大きいんじゃないかと思うんだけどさ。それが龍騎でミラーワールドっていう隔離空間を作ったことで、戦いは社会から切り離されたものになったと。んで555ってスマブレとか出てきて一見社会的な背景とか大きいのかと思いきや、起こっているあらゆることってすごい狭い世界で展開してるし。あと菊池クリーニングとか木場のマンションとかの絶対安全領域が常にあったりとか。その点剣は虎太郎んちとかハカランダも襲撃されたりして微妙に容赦ないところがあるんだけど、まぁ全体には事象の範囲狭いよね。んでカブトについては渋谷隕石があるから物理的な範囲の狭さはある程度納得できるところではあるけど。電王とキバについてはあの範囲の狭さはちょっと説明つかないだろうと思うんですよねぇ…あーでも電王は一応あれか、桜井さんと愛理さんが狙いだったみたいなところになるのかなぁ…それにしても特異点は血筋なのかと突っ込みたくなるわけで。キバに至ってはほんと555といっしょなんだけど、もっと広がりがあってしかるべきじゃぁないのかねと思うわけです。なんかその辺の物理的な範囲の狭さと主人公の動機づけの狭さがあいまって世界がどんどんちいさな箱庭の中に押し込まれてるような感じがするんだよなぁ。


そう、で何の話がしたかったかってキバの話がしたかったんだよ。話逸れすぎだけどw
キバって世界の狭さだったり、キャラクターで押してくやり方とかタイムトラベル要素、フォームチェンジ等々過去作品の焼き直しって言われがちだと思うんだけど。最初に言った“異形の力”っていう点で言ったら渡って唯一、はじめっから異形を抱えてる主人公なんだよね。生まれついての異形。まぁ巧も物語のはじめからオルフェノクではあるんだけどさ、そもそもオルフェノクって一度死んだ人間がなるもので、巧にもバックボーンとしてただの人間であった時期は確実にあるから、生まれついての異形ではないわけで。最初から普通の人間じゃない、って言う点で実は仮面ライダーとしての根幹をひっくり返す新要素を持ってたんじゃないかと思うんだわ、キバって。
ただなんでそれが前に出なかったのかなーって考えたときに、そもそも渡が人間としても不完全だったからなんだろうなぁと。前半で人間として一人前レベルまで成長して、かなり終盤に近くなってきたあたりではじめて、人間にも異形にもどちらにも属せない自分に直面して、終盤に至って境界線を超える…みたいな流れだったんだよね。こう、もともとハーフである者に、人間と異形の狭間であることの苦悩をどうやって持たせるかって考えるとまぁ自覚がないっていうのはアリな設定だとは思うのだけど、どうもその人間としての成長パートが微妙に長くて境界上に立って悩むところが意外と少なかったのがもったいないなぁというのがひとつ。それから苦悩から脱して自ら戦うようになったのがほんっとーに終盤で、それもタイムトラベルで父親に会うっていうこの上なく安直な方法でカタルシスが全然なかったのが残念すぎるっていうのが、もうひとつねぇ…あるかなぁと。


なんだろう、基本的には好きなんだよね。色々言われてるけど悪い作品じゃないと思う。リアルタイムで見てるときは勝手に期待してたところがあったりして冷静に見れてないところがいっぱいあったと思うし。何より放送中からずっと言ってるけど、渡がかわいくて仕方ないから。主人公が嫌いになれないのに作品自体が嫌いなわけない。

*1:あぁちなみにうちの学科はそういうの全然アリです。実際エヴァとかで書く人毎年いるしね…