No matter who you are

私が兄弟…っつか兄貴に夢中になってる間に気づいたらインフル感染者が3ケタになっててはぁぁぁ?な状況の中今日はこれから不滅コンですよ^^18時に授業終了したら定時ダッシュです。学生のうちに定時ダッシュすることになろうとは思わなかったwまぁ、抜けられなくもないとは思うんだけどね…


で、2コ前の記事の続き…つーか続きになってない続き。渡と音也考。なんとなくまとまってるけどまだ言いたいことはいっぱいあるのでこれもまだ続くかも〜♪




何度も言うけど私はまだ9作全部見たわけじゃないけどさ、“境界線を越えてしまった者の物語”として、多分境界線に対するスタンスとしては555あたりで結構出尽くしちゃってるような気はするのね。とりあえず…境界線を知りながらそれを超えた本質を知る者(巧)、どうしても境界線を意識してしまう者(木場さん)、本質を見ようとしつつも微妙に振り払えない者(真理)*1、境界線外の者は決して認めない者(草加)…みたいな。*2


で、剣の人たちで言うなら、境界の外を感知しない者、人類至上主義(橘さん)、計らずも越えてしまった者→境界線の融和を願う者(睦月)、はじめから境界外→本質を知りつつあえて外に身を置こうとする者(始)、境界の内側、自分が守りたいものを守るために自身が踏み越えることを厭わない者(剣崎)って感じなのかな。
多分、図らずも巻き込まれてしまった形の睦月なんかは葦原あたりの焼き直しになるのかなぁという感じだし、橘さんなんかもまぁ、氷川あるいは草加の系譜の延長線上だよね。ここで一番新しかったのって多分始なんだよね。最初っから異形って点からして。それまでの作品では人の側から異形の側へ無理矢理押し出されてたようなものが、異形の側から人間側に近づくっていうのは何気に主役級としてはあんまりなかったんじゃないかなぁと。


で、何が言いたいかと言うとこの辺りを踏まえて見ると渡って睦月と始の中間みたいな捉え方もできるのかなーと。最初から異形を抱えてる、ただの人間じゃないっていう外身、器の面では始さんのようでいて本人のメンタリティとしては相当巻き込まれ型っつーか、生まれたときから自分じゃどうしようもないものに巻き込まれちゃってるからね。それがきっと“運命の鎖”ってやつなんでしょう。ただそれこそ最初の段階では自分の持つ力、異形の部分については無自覚だし制御できてなかったし、かと言って人間としても不完全だったから、どっちの側にも属せないところがあって。その何者でもない感もちょっとジョーカーっぽいんだけど。でも属せないからと言って孤独ではないのよね。そのあたりが結構キバの面白いところで、むしろ属せない、属さないからこそいとも簡単に境界線を超越するし、どのカテゴリーの相手とも関係を結べる、文字通りの“架け橋”、渡なんじゃないかな。


で、音也に関して言えばアレはそもそもカテゴリーとか境界線っていう発想が基本的に存在すらしない感じかなーと。彼の偉大さと罪深さは多分、天才故に即座に本質を知り、触れ、境界線を超えた“共鳴”を起こせてしまうところなんだとは思う。なんだろうな、人間と異形の物語である仮面ライダーを見ている視聴者からすれば、彼のその身軽さは強大なカリスマ性なんだけど、劇中の人物、それこそゆりみたいな立場の人間からすれば彼の行動原理は理解の範疇を超えてるだろうし*3許しがたい部分もあるんだと思う。つーか実際キバの話の諸問題ってほとんど音也のせいだしな!彼のあの自由さって絶対的な魅力であると同時にそれが逆に息子に枷をかけてしまった部分もあるわけだし。だたその枷があったからこそ渡は境界を超えることが出来た部分もあるのかな、とか。えーと整理すると、音也が科した枷によって渡はどこにも属さない者になってしまったけれど、だからこそその枷を外す行為を通じて渡も音也と同じく、境界を超えて本質を知る側の者になれたのかなぁ、みたいな。んで多分もっと言うなら、その枷を外すための鍵っていうのが音也の本質、それは多分劇中で“魂”あるいは“音楽”と言われていたものなのかなぁ…とかね。枷をかけたのが音也なら、それを外すために必要だったのがその魂を知ることで、たぶんそうやって知っていく行為自体が渡にとっての“救い”のようなものだったのかもしれない。

*1:最終的には振り払ってるけどねー多分

*2:えーと三原はわかんないからごめん

*3:“青空超えて”、だね