ディケイド&シンケン3D

見ーてきーたよー!

というわけでまたもにょもにょと。なんかディケイドが文句ばっかりになったからあとで良かったとこ書き足すと思うw自分で見てもさすがにひどいw


まぁ知ってる人も多いと思いますが3D版だと上映順がディケイド→シンケンで、ディケイド上映前にシンケン&士くんの諸注意、間に「メガネをかけてください」、終了後に「メガネは係の人の指示に従ってね!」という感じの映像が入ってます。あーばさんの「こらつかさぁ!」って言い方が好きです。メガネをスチャっとかける千明が超ワクワクしてる感じでめっさ可愛い…あと感動してる士くんは笑うとこ?w

3Dはそれ自体は結構面白かったです。特に引きの映像と、モヂカラ関係で効果を発揮するね。ナナシの大群がもぞもぞ動いてるのが奥の方まで続いてる感じとかすげぇ良かった。あと何より変身シーンで文字がくるっとひっくり返って顔にパンッと貼りつくのがね!2Dで見たときは見慣れたいつものシーンだったのが3Dになった途端なんかもうすごい面白くって、柄にもなく大興奮してしまったwいやーあれは良い。素晴らしい。あれだけ20回くらい見たい。
ただやっぱりちょっと目が疲れるから、最後の方とか若干視界がぼやけてたのがなー。まぁその辺の踏まえてのこの上映時間の短さなんだろうなと思うけど。うーん、多分これ先にシンケンやって、休憩兼メガネ回収時間作ってからディケイドとかにした方がいい気がする。実際地域によっては毎年戦隊とライダーの間に休憩入れる映画館もあるって言うし…なんかディケイド見てる間もメガネを持ってるわけで、無意識にレンズのとこ触りそうになるんだよね。多分あれ子供にベッタベタに指紋とかつけられちゃうとなかなか落ちない気がするし。つってもシネコンで休憩作るのは難しいのかな。
あと、全体にやっぱりスクリーンの枠の中に入っちゃってるから、どうしてもミニチュアとか箱庭の中を覗き込んでるような気分になってくるんだよなぁ。特に冒頭の本陣で構えるマンプクとかさ、高い視点からぐーっと寄ってくから、箱の中にぐーっと視点を合わせていってるような感じなのね。ん?なんかさっきと言ってることズレてる?…あれだな、背景に空があって手前に山があって、幟があってナナシがうわぁぁぁっといるっていう引き状態の画はいいんだけど、そこから一点に寄っていってしまうと手前にあったナナシたちの感覚みたいなものがなくなって、あ、箱庭、みたいになっちゃう感じ。…よくわかんねーな。あと神社?お寺?のシーンとかちょっと不自然に遠近感つけすぎてお堂の中がやたらめったら広くなっちゃってるのも気になるところだしwそれと2D見てるときにこれはカッコ良さそうかなぁと思ったのがナナシの矢が一斉に飛んでくるところとか殿が烈火大斬刀を構えてるとことかなんだけど、実際見たら矢は早すぎてよくわかんないし(流さんのウォーターアローも同様)、大斬刀もちょっとイマイチだったかなぁ。恐竜折神は殿が持ってるのよりシンケンオーがグっと構えてるとこの方がかっこよかったかもしれない。でもこれも静止してる状態なら先端がこっちに出てきててかっこいいんだけど、動いて先端が枠の外に出た瞬間そこで切断されちゃうから感覚的にわけがわからんのだよな。仕方ないんだけど。マンプクのあの蛇の頭みたいなの?あれなんかもぐわっと口を開けてこっちに迫ってくるのは結構怖いんだけどあー来る!って思った次の瞬間枠外へフレームアウトするから、は?みたいになる。あれは開ききってぐっと前に出た!ってところで切り替えるとかした方がいいと思う。なんか枠のところで切れちゃった瞬間、3Dなりのリアリティみたいなものが一気になくなっちゃうから。
うーん、今年のがどの段階から3Dって話になってたのかは知らないけど、モヂカラで書いた文字が手前に出てくるような仕掛けとか、あとロボの立体感は結構良かったので続けてみても面白いんじゃないかなぁとは思う。ただお堂の中のシーンとかはさ、なんかあんまり意識してないところに無理矢理遠近感をつけてる感じだったし、全体を違和感なく立体的なものにするにはこれまで以上に画面の構成に気を使う必要がありそうだなぁと思った。ただでさえ制約ってーか、お話的な縛りが多そうな中でどうすんのかなーってのはちょっと気になるかな。


中身についてはまぁいいや。とりあえず流さんは鉄板です!



で、えーとディケイドね。まぁちょっと落ち着いて、「何がおかしいと思ったのか」を考えながらじっくり見ようと思った。
…ら、えーといきなり最初の士くんの「ちょっと見てくれ」で微妙に違和感を感じてしまったwwwあーうん別に細かいことかもしれないからいいんだけどね…あの子ってもっと上目線じゃなかったっけ…

まぁなんか、こうある程度流れがわかった上で落ち着いてみたら頭の中も気持ち的にもちょっと整理されてきたよ。前回グダグダ書いたけどさ、一応小夜の話はそれはそれでいいと思うことにした。一応ね。米村台詞はほんと合わねぇけどwで、落ち着いて何がおかしいのか、何が腑に落ちないのか、去年との満足感の違いはなんなのか考えながら見てたわけですが。
多分去年との一番の違いは、私が意識下・無意識下で見たいと思ってたドラマ的な画を具現化したかしてないかなんだよね。去年も初見の印象は相当ブツ切れで話としちゃ意味がわかるようなわかんねーような、みたいな感じだったんだけど、もう魔界城の音也と渡のシーンとか最後の演奏シーンとかが本編のあれやこれやと繋げて考えてたらさ、もう良すぎて好きすぎてそれでいいや!ってなっちゃった感じがあってwまぁ今回そういうのがなかったなーと。もちろんバトルシーン的には野生児アマゾンに火吹く響鬼さんとか電気カブトムシのストロンガーとブレイドとか面白いなぁと思ったところはあるんだけど。私にとってそういうバトル的な画とか趣向の面白さって、そこの、それだけなんだなぁと確認させられた次第。いや大好きだけどアクションシーンは。興奮する時にはするけどさ。映画としての満足感にあんま関わってこないんだなー多分。
で、一番腑に落ちないというか理解が出来ないところがさ、そもそも士が何を思って大ショッカーの大首領なんかをやってたのかってことだよ。あの兄弟って小夜の方は別の世界を視る力と究極の闇をもたらす石を持ってて、士の方は小夜が視た別の世界に実際に渡る力を持ってたってことだよね?で、その世界を渡る力を使って世界の崩壊を防ぐために、その原因(だと思い込まされていた)ライダーたちを倒す旅に出た。ここまでだったらわかるんだ。わかんないのはなんでそれが大ショッカーに繋がるんだってとこだ。例えば大ショッカー側がさも善意の集団のような顔をして士に世界を渡らせ、その後ろに出来た橋を使って後から全世界の征服を画策し、最後に士を突き落とすとかならまだわかるんだよなー。でも大首領の士は、自分で「世界を征服する」、って言っちゃってるんだよね。「消滅よりはマシだろう」って言うけど、世界の崩壊の原因がライダーの力が引きあってることだって信じてるとすれば崩壊を防ぐためにはライダーを倒せばいいだけの話であって、そこで征服って方に行くのは完全に悪役のそれでしょう。そこでね、すべての世界は大ショッカーの支配下に置かれてはじめて世界が救われるとか言われてるんなら「征服」って言葉が出る理由もできるけどそんな描写ないし。
あとちょっと視聴者というか外側視点の話をするとだ、(この際本編のことは忘れて)崩壊の原因がヒーローにあるから倒さざるを得ない…だけにしておけばそれこそ同属であるライダー殺しを背負ったヒーローに成り得たのに、なんで征服とか言わせちゃうかなー…って話なんだよね。しかも洗脳とかじゃないんでしょ?あれが本来の「門矢士」なんでしょ?なんかさー、私にとってのライダーの一番の面白さってその存在自体がそもそも善悪の境界上にあるってところなんだけど、存在はたとえ悪寄りでも行動原理には正義…というか、何かの「正しさ」がないとダメなんだよね。その正しさがどこにあるかは作品によって違うけど、でも基本はやっぱり「何かを守るために」だろうと。世界の崩壊を止めて救う、すべての世界を守る旅の物語であるはずのディケイドで、主人公の目的が世界の蹂躙とも言える「征服」っておかしいと思うんだ。
うーん、それでも一応まだセーフティラインになりうるものはあって、それが小夜だと思うんだけどさ。籠の鳥…っていうか雛か。自力じゃ外の世界へと渡れない小夜のためにすべての世界を手中に収め、与えてやろうとしてたとかだったらまぁ言葉の問題はともかくとして世界を征服して手に入れようとしてたって理由にはなり得たと思うんだ。まー個人的には激しく気に食わないがwしかしそんな話も一切ない、というか小夜の方は士に置き去りにされたことの絶望が常に付きまとってるけど、記憶を失う前の士がその小夜に対して何を思っていたのかがサッパリわからん。しかも別に与えてやろうとしてたんじゃないしな。思いっきり「飛べる!」とか言って自分でなんとかしろって言ってるしな。じゃぁほんとなんで征服しようとする側にいたんだよお前…ってとこまで考えてなんかもう気が遠くなってきたw
あと前回書かなかったっていうかそこまで気が回らなかったんだけど、これユウスケの扱いも大概だよなぁ。小野寺ユウスケとして意味を持つシーンがオロナミンCのとこしかない。だってそれ以外はただの「クウガ」だもん。ライジングアルティメットでさえただ士と小夜を映す水晶玉でしかないじゃんかアレ。ほんとこの扱いって半年ずっと士と一緒に旅をしてきたユウスケとしてどうなんだろう。ライジングアルティメットが究極の闇に捕らわれたユウスケなら、そこから士が救い出さなくてどうする。っていうか逆に言えば士が悪の大首領なら、ユウスケがそこから救い出さなくてどうする…って気がしてしまうよ。ほんとそこらへんでもうちょっとあって、ドラマとして印象に残るシーンになってればそれこそ去年みたいに心象としてひっくりかえる可能性だってあんのに。なんでこうなったのか意味がわからん。